参勤交代の長岡藩主は、往来のつど、行列を休息させ、この清水を賞味した。
安政年間に、長岡で藩主は山に伏し、『もう一度あの水がほしい』と所望した。
下僕は殿の臨終に間に合うように近くの水を汲んで差し出したが、
この水は違う、と見抜いてしまったという。
急いで汲み直して帰ったが、既に殿は帰らぬ人となっていた。
下僕は責任を感じて自害したという。
以上は、この泉の脇に書いてある立て札の趣旨である。
(群馬県高山村教育委員会の記載。撰文、阿部嘉市郎氏とある。若干表現を変えた)。
過去の名水も、今は誰も飲む人はなく、
舗装された道路の横で冬の日射しを浴びて鎮まりかえっていた。
ユニークな岩肌だけがときおり旅人の気を引くのかもしれない。

[070221]群馬県吾妻郡高山村。
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