■立て札には以下のようにある。
「保元の乱(1156年)で敗れた源為朝は、
伊豆大島に流され、1165年(永万元年)、
琉球に渡ろうとした途中にしけにあい、
潮流に乗って喜界島の沖合に辿りついたとき、
船上から島をめがめて雁股の矢を放ち、
上陸の後その矢を抜いた痕より
清水が湧き出た。
その泉を雁股の泉といいます」。
■雁股矢(かりまたや)とはやじりの先を二股にし、
その内側に刃をつけたもの。
飛ぶ鳥や走る獣の足を射切るのに用いるという。
宗教儀式にも用いるようだ。
ただし、なぜ為朝がこの矢を島に向かって射たのかは、
上の立て札の記載だけでは分からない。
上陸しても安全が保たれるように祈願の神事として
射たものなのだろうか。
■この遺跡を含めて、喜界島の遺跡群は、
1000年以上の歴史がこの島にあることを示している。

[070429]鹿児島県大島郡喜界町小野津(喜界島)雁股の泉。
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