ここ(沖名泊)は1202年(検仁2年)に、
平資盛が漂着した場所という。
石碑はそのことを示すために後生に作られたもの。
七城(ななじょう)と平家森を築いて、喜界島で3年過ごし、
その後に奄美大島に渡ったという。
七城は志戸桶と佐手久の中間の増花田(ましけだ)に築城された。
平家森は早町の後背地にあたり、海からの敵の監視所としたという。
■平和な今から思うと、
この離れた島で「敵」を意識して生活したということは
想像を超えたことのようにも思われるが、
当時は「戦い」が今より何十倍も真剣に考えられていた時代だったのだろう。
■喜界島には、いろいろな歴史が重なっているようだ。

[070429]鹿児島県大島郡喜界町志戸桶キャンプ場&海水浴場。
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●SRS研究所の公式HP
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●喜界島の自然旅行体験
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